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ジムさんに捧ぐ

過日、カナダの叔母よりメールが届きました。

“Jim passed away.”

オタワに住む私の叔父、ジムさんの訃報でした。


叔母からは、年明けから体調不良で通院や自宅療養の知らせは聞いていましたが、8月17日に呼吸不全で入院、週明けに予定されていた手術の前に、脈の急上昇と血圧の下降が治まらず、26日(日)朝6時半に帰らぬ人となりました。


Jim McDonough(ジム・マクダノー)氏 享年84才


現役時代は、カナダ国の外交官として北アフリカ、アジア、ヨーロッパ、北米に赴任され、1960年代後半、東京の在日カナダ大使館在勤中に母方の叔母と知り合い結婚。


3人の子供にも恵まれ、1970年代の2回目の東京在勤時には
家族5人で来道されるなど、私が子供の頃から海外への関心を育んでくれた方です。


振り返れば、私が小学2年生の時、
叔母が叔父と二人で初めて郷里の三笠に来られた時のこと、


田舎の三笠では、当時自動車よりも馬車が幅を着させていた田園地帯の我が家に、
突如として現れた青い瞳の大柄の外国人は宇宙人と思えるほどのショックでした。
数日後、東京に戻る際には、親戚一人一人に握手しながら
丁寧に英語で別れの挨拶してくれました。


当時の私は英語など知るすべもなく、只々青い瞳を見つめながら握手しつつ、
唯一「スポーツ」の単語が聞き取れました。


多分、「スポーツと勉強を頑張って。」と言ってくれたのでしょう。


あれ以来、「将来、ジムさんと話がしたい!」との夢を胸に、
中学から大学までは、体育と部活と英語だけは何故か気を抜かずに勤め上げました。


夢が叶って、1991年カナダのアルバータ大学に留学の機会を得、
春の休暇中にエドモントンからオタワのご自宅にお邪魔し、
ビール片手にジムさんとゆっくりお話することが出来ました。


私が小学生の時に受けたジムさんの宇宙人のような印象、
別れ際に握手しながら語ってくれた紳士然とした態度、
将来、ジムさんと英語で会話したいとの夢を持ち続け、
今回カナダ留学の機会を得れたこと、


などお礼を述べつつ、
話題は、日本とカナダの文化、習慣、価値観の違いへと発展。


さらにビールの本数が進むにつれ、比較文化論議は各論に入り、


「結婚するなら日本の女性が一番だよ!」


国際文化比較の定石のジョークともなっている一言でしたが、
ジムさんが言うと妙に説得力があり、二人で大笑いしたものでした。


その後も、ジムさんとは何度かカナダと北海道でお会いする機会がありましたが、
日本人と接するときにはいつも気を遣い、穏やかで礼儀正しく、
日本人の心情を理解している方でした。


叔父のその飾らない誠実な人柄と自然を愛する心が、
北海道の田舎育ちの一少年の心に灯をともし、
諸外国に足を運ぶまでに視野を広げてくれました。


改めてマクダナー氏との出逢いに感謝を捧げ、心よりご冥福をお祈りいたします。




Dear Jim-san,


I was very shocked by the sad new that you had passed away
since we believed you would get over the current condition.


I cannot come up with the right expression how I could appreciate you, Jim-san.
You truly inspired me to broaden my perspectives.


I still recall the scene you visited my home town Mikasa,
over forty years ago, when I was a school kid.
It was the first experience for me to see Westerner,
their manner, behavior and to listen to native English.


I heard this episode from Sachi-san afterward that you decided to take a taxi,
not ride in a train, from the Mikasa railway station to the next station.
In that rural town you were so conspicuous that
the people there must have gazed at you as if you were an extra terrestrial.


When you left Mikasa, you addressed each one of our relatives politely.
All I could pick up was just “sports” in your words to me.
Now I think you might have told me something like
“Enjoy your school life, study, play and sports. Do your best.”


That motivated me to study English, dreaming of communicating with you someday.
The dream came true in 1991 while I have studied at the University of Alberta.
It was a great fun to talk with you over a mug of beer in Ottawa.


Yes, as you mentioned, you are the happiest man in the world
because you had a Japanese wife. (persuasive indeed !)
Staying at your house is one of my fund memories in Canada.


I feel honor of visiting your funeral next week and appreciate that
you might present me my first visit to Canada in the last twenty years.


Your smile and memory will be forever in my hearts.


Hiroshi Morita